清水エスパルス

清水エスパルス

1991年Jリーグ加盟。ホームタウンは静岡県静岡市(合併前は清水市)。ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場(日本平スタジアム、静岡市清水区村松。発足当初は静岡県草薙総合運動場陸上競技場(静岡市駿河区聖一色)を準ホームスタジアムとしており、球団事務所も静岡市駿河区栗原にあった。)。また、日本平スタジアムは収容人数約2万人とやや小さいため、磐田(静岡ダービー)や浦和など人気が高く、多くの集客が見込める対戦では袋井市にあるエコパスタジアムを使用することが多い。但し、2007年はリーグ戦・カップ戦ともにホームゲームは全試合、日本平スタジアムで開催することを予定している。練習は三保グラウンド、静岡市清水総合運動場等を使用している。チーム名の「エス(S)」は、静岡・清水・サッカーの頭文字、「パルス(PULSE)」は英語で心臓の鼓動を意味する。サポーターによる応援では多くの楽器を用いてサンバを踊るなど、応援に関してはJリーグクラブの中でもかなり特徴的な応援である。特に本拠地の日本平スタジアムで大人数のサポーターが踊るサンバは非常に見ごたえがある。

Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつ。母体チームを持たず(厳密に言えば、Jリーグに加盟する前の結成当時は、清水FCとして静岡社会人リーグに加盟していたが、このJリーグ加盟を機に清水エスパルスへと名義変更しただけである。)、静岡県出身者を中心にスカウトしてチームを編成した。当初は市民やテレビ静岡、フジテレビジョン(※)、中日新聞社などの出資する会社「(株)エスラップ・コミュニケーションズ」により運営されていたが、1998年にテレビ静岡の撤退により経営破綻。流通業の鈴与をはじめとした地元企業の出資により現在の運営会社「(株)エスパルス」が設立され、チームを継承した。(ただし、静岡ローカルでのエスパルス戦のテレビ中継は、現在も主にテレビ静岡が中継する。)

1991年5月設立の運営会社は資本金の1割が市民持ち株というほどサッカーどころである。 そんなサッカー王国・静岡市の最大の財産は、才能豊かな選手達。 当初は地元出身の優れた選手達を補強し、特にDF堀池巧(前読売クラブ)、MF大榎克己(前ヤマハ)、FW長谷川健太(前日産自動車)の「清水東三羽烏」の地元への移籍は当時の清水サポーターを賑わせた。 また初代主将となる三浦泰年(前読売クラブ)や新人選手としてMF澤登正朗(東海大学卒)などを補強し、その結果第1回Jリーグヤマザキナビスコカップ準優勝(1993年)を果たす。 その後もナビスコカップ優勝(1996年)、J1 2ndステージ優勝(1999年)、天皇杯優勝(2001年)など、数々のタイトルを獲得した。

チームは伝統的に延長戦に入ってからの勝ちが多い。そのため、トーナメントでは好成績を収めながらも、リーグでは延長勝ちの勝ち点が2点に減点されたことや、またさらに延長戦が廃止されてしまうと成績が下降。 2003年シーズンは11位、2004年シーズンは14位、2005年シーズンは終盤まで降格争いをし、最終的には15位で残留を決めるなど低迷期が続いた。これらの成績の主な原因として若手選手の育成に課題があった。それまでチームはユースから大量の選手を昇格させてきた。しかし、これらの選手の多くが満足に結果を残してきたとは言い難かった。その為、スカウトの充実や、ユース選手だけでなく外部からの選手の補強を図ることで、チームの復活を目指した。その結果、2005年度にデビューした枝村匠馬、兵働昭弘、青山直晃ら若手選手が主力として定着し、同年の天皇杯で準優勝の成績を収める。

トリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)の達成を目指して迎えた2006年シーズンもルーキー藤本淳吾が主力として定着し、青山直晃が日本代表に選出されるなど前年以上に若手選手が台頭。またかつての代表である森岡隆三、市川大祐、伊東輝悦、斉藤俊秀らも復調を果たし開幕から上位につけ最終的に4位でシーズンを終え、目標であったトリプル5も達成(4位・勝ち点60・得点60)。長年の低迷期からの脱却に成功、強豪復活の気配を見せている。また、12年ぶりに年間順位でジュビロ磐田を上回った。シーズン終了後には藤本淳吾が新人王を獲得する一方で森岡隆三が出場機会を求めて移籍するなど、世代交代を象徴するシーズンであった。

なお、通算の対戦成績で鹿島アントラーズに勝ち越している数少ないチームである(18勝12敗2分)。ただ最近は負けが多い。